ねじまき日記

人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。―ド・ラ・メトリ「人間機械論」

流れ流されて生きるじゃんよ

今週のお題「運動不足」

農業やってると運動不足にはなりませんが、剣道やってます。試合は逃げ回ってます。

 

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日本在来種のかぼちゃ、錦甘露。小さな湯呑みくらいのペポかぼちゃで、鈴なりになるというので肉詰めにして食べるつもりで育てたんだけど、乱暴な夏の気候に負けたか、とれたのはひとつだけ。でも、知らない土地に連れてこられて彼なりの試行錯誤をして生き延びた結果の種が詰まっているので、問題ない。こういう種は不思議なことにその次の年、必ず元気に大きくなる。脳という形の記憶装置を持たない彼らは、知らない土地を手探りで生きた記憶をいったいどこに蓄積して伝達するんだろう。やっぱり植物はなんとなく薄気味悪い。

 

来年はかぼちゃ長者だ!と喜んでいたら、おいらはそんな仕事請けていいのかな、などとどこか他人事のような感覚でいた招聘がいきなり半年前倒しになり、今月下旬からのフルタイム勤務が決まってしまった。
雨降りの薄暗い午後、課長の運転で研究室に顔合わせにいった。おいらはほっとけば何日でもしゃべらなくて平気なくらいの貝女なので、気のきいた会話ができない。ライター冥利に尽きることや困った経験などいろいろ聞かれて、何かを書くなら切っても切れないウラドリの話をぼつぼつと、でも伏線だけは回収して(おい)話したら、真っ正面に座った教授がおいらが話し終わるのを待ってニコニコしながら
「じつは、僕はあなたの本を一昨年に購入いたしておりましてね。調査も探索もじつに丁寧です。一緒にいい本を作りましょうね。」
といって、本をテーブルの上に置いた。おいらはマスクのしたで耳まで真っ赤になった。おいらの本というても、発行部数は少なくて、専門色も強くて、なにより共著だ。心残りもたくさんある。

 

※ ちょっと脱線する。モノカキというと小説書きと思う方も多いようだが、おいらはそういうのではない。例えば編み物の本の「左右の端はすべり目とし、2目内側で増し目をしながら」というのや、スポーツ新聞の「かわいい顔に似合わないたわわに実った乳房に大きな乳輪が」というのや、鍼灸院検索サイトの「強豪校からも絶大な信頼を寄せられており、全国高校駅伝などの大会にチームドクターとして」というのや、そういったおいらたちの周りに溢れる泡沫みたいな文章にも、オーダーにあわせ1文字いくら(0.5円くらいから始まる)で名もなく書いてるひとがいて、そういうひとのほうが多い。ものすごく多い。すべてがそうとは限らないが、記名で書く記事なら単価はあがるし、amazonで名前がヒットすれば、依頼はひと記事いくらの計算にかわって、その分野に特化した質のいい、そのぶん抜き差しならない仕事がくるようになる。

 

それからはもう、何を言うにもぐだくだになって終わった。
帰りの車で、今年はめいっぱい作付けしたのに、収穫どうしましょうと言うと、同い年の課長はいつもの笑顔で、「みーんなひいひいいいながら土日にやっとりますよ。そもそも8年の仕事が終わっても、まだまだ年金掛ける側なんですから、稼いでなんぼの現役世代が畑仕事に三味線ひいて遊んでるて反則ですやん。さっさと現世に戻って社会保障担ぎましょうね。」という。ほんとのことすぎて何も言い返せない。長年一緒にお仕事させてもらっただけある。